第十六回:第十二章 芸術家の「態度」と木瓜の悟り|非人情の極致と「憐れ」の予感

『草枕』第12章。画工は木瓜の花を見つめ「愚にして悟ったもの」としての理想の姿を見出す。那美と元夫の密会を「画」として観察する非人情な視点。しかし那美の突然の告白と、従弟・久一への短刀の餞別が、物語を現実の悲劇へと引き戻す。 文学

第十二章は、主人公(余)がこの旅を通じて得た「芸術家としての確信」を宣言し、同時に那美という女性の「美的生活」の裏側に潜む現実(人情)が、ついに露わになる重要な章です。
漢文学的な「隠逸(いんいつ)」の精神と、木瓜(ぼけ)の花に託された「拙(せつ)」の美学。そして、ついに那美の「別れた夫」が登場し、物語はクライマックスの出征前夜へと加速します。

1. 随処に動き去る心――「行屎走尿(こうしそうにょう)」の芸術

主人公は観海寺の大徹和尚を「最高度の芸術家」と評します。それは彼が高度な教養を持つからではなく、心がどこにも停滞していないからです。

  • 出典:『臨済録(りんざいろく)』原文: 「仏法無用功処、只是平常無事。喫飯著衣、屙屎送尿」 対訳: 仏法とは特別な功績を積むことではなく、ただ日常の無事な営みにある。飯を食い、服を着て、糞をし、尿をたれ流す。それだけのことだ。
  • 解説: 「行屎走尿(こうしそうにょう)」とは、日常の卑近な行為を指します。和尚のように、何事にも執着せず「底のない嚢(ふくろ)」のように心が通り抜けていく状態こそが、主人公にとっての理想の芸術家人格なのです。

2. 木瓜(ぼけ)の花――「拙(せつ)」を守る覚者

草原に寝転んだ主人公は、目の前の「木瓜」を見つめ、二十年来の知己(親友)であると感じます。

  • 木瓜の評価: 「愚にして悟ったもの」。枝は頑固で、不器用に曲がり、安閑と花を咲かせる。
  • 漢文学的概念:「守拙(しゅせつ)」出典:陶淵明『帰園田居』 原文: 「開荒南野際、守拙帰園田」 対訳: 南の野の果てを切り開き、愚直な本性を守り抜くために田園に帰ってきた。
  • 分析: 世渡り下手で不器用な「拙」をあえて守り通す。主人公は、洗練された巧みさ(巧)よりも、この愚直な「拙」にこそ真の悟りと美があると考え、「来世は木瓜になりたい」と願うのです。

3. 漢詩に昇華される「是非(ぜひ)」の忘却

木瓜を眺めながら得た漢詩は、この旅の思想的到達点です。

  • 漢詩(抜粋)と解説:「縹緲(ひょうびょう)として是非を忘る」 対訳: はるか遠く、世俗の善悪や正しい・間違い(是非)など、すべて忘れてしまった。 「逍遥(しょうよう)して物化(ぶっか)に随う」 対訳: 自由自在に遊び歩き、万物が変化する自然の理に身を任せる(荘子の思想)。

4. 那美の「美的生活」と現実の亀裂

草原で那美と「野武士のような男」の密会を目撃した主人公。彼はこれを「不即不離(ふそくふり)」の完璧な構図として観察しますが、那美の言葉がそれを破壊します。

  • 衝撃の告白: 「あれは、わたくしの亭主です(離縁された亭主です)」。 さらに、その男が満州(日露戦争の戦地)へ「死にに行くのか金を拾いに行くのか」分からぬまま去ったことを明かします。
  • 短刀の餞別: 兄の家を訪れた那美は、出征を控えた従弟・久一に、朝方振り回していた「白鞘の短刀」を餞別として投げ渡します。「ぴかりと、寒いものが一寸ばかり光った」 この鋭い光は、のどかな春の「非人情」を切り裂き、いよいよ逃れられぬ現実の「悲劇」が幕を開ける合図となります。

まとめ

第12章は、穏やかな隠逸の理想(木瓜・漢詩)と、鋭利な現実の悲哀(離婚・出征・短刀)が最も激しく火花を散らす回です。

  • 和尚の境地: 停滞せぬ心、完全なる芸術家。
  • 木瓜の拙: 愚直に本性を守る美しさ。
  • 是非の忘却: 漢詩の中に閉じ込めた非人情。
タイトルとURLをコピーしました