1. スウィンバーンの詩――「ヴェニスの日没」の正体
主人公が「どこを読んでも面白い」と語り、那美に日本語で訳して聞かせる小説の一節。これは、イギリスの詩人アルジャーノン・チャールズ・スウィンバーン(Algernon Charles Swinburne)が、ヴェニス(ベネチア)を舞台に描いた世界観が投影されています。
- 出典の背景:スウィンバーン『愛の十字架』あるいは『死の勝利』の断片 漱石はイギリス留学中にスウィンバーンを耽読していました。
- 描写: 「ヴェニスなるドウジ(元首)の殿楼は今第二の日没のごとく、薄赤く消えて行く」
- 分析: ヴェニスの没落と愛の終わりを重ねるこの一節を、主人公はあえて「筋」を無視し、絵画的な美として読み上げます。
- 漱石の意図: 「惚れて夫婦になる必要があるうちは、小説を初からしまいまで読む必要がある」という言葉は、現実的な目的(結婚や解決)を持たない**「低徊趣味」**の宣言です。
2. 禅語「竹影払階(ちくえいふっかい)」の静寂
那美が壁の額を眺めながら口にする言葉は、有名な禅の公案集『禅林句集』などに収められている一節です。
- 出典原文と対訳原文: 「竹影掃階塵不動、月輪穿海水無痕」 書き下し: 竹影(ちくえい)階(きざはし)を払(はら)って塵(ちり)動かず、月輪(げつりん)海(うみ)を穿(うが)って水に痕(あと)なし。 対訳: 竹の影が階段を掃除するように動いても、塵一つ動くことはない。月の光が海の底まで突き抜けても、水面には何の傷あとも残らない。
- 分析: 事象が動いても本体(本質)は少しも揺らがない。これは那美の「不遇な結婚」や「出征する従弟」という激動の現実に対し、彼女の精神が保とうとしている**「非人情の強さ」**を象徴しています。
3. 「円満な動き」としての地震
対話中に発生する地震。漱石はこれを、恐怖ではなく美的な「変化」として描写します。
- 描写のポイント: 「落ちついて影をひたしていた山桜が、水と共に、延びたり縮んだり……変化してもやはり明らかに桜の姿を保っている」
- 漱石の評価(『草枕』における運動論): 現世の苦悶(痙攣的)ではなく、大きな地盤の動きに身を任せて「円満に動く」。これが非人情な生き方の理想形です。那美もこれに応え、「人間もそう云う風にさえ動いていれば大丈夫」と同調します。
4. 鏡ヶ池への誘い――「往生して浮いている画」
第九章の白眉は、那美が「鏡ヶ池」について語るラストシーンです。
- 那美の言葉: 「身を投げるに好い所です」「やすやすと往生して浮いているところを、奇麗な画にかいて下さい」
- 人物解説と分析: 那美のこの言葉は、第七章で主人公が夢想した「風流な土左衛門」や「ミレーのオフェリヤ」に対する、彼女側からの回答です。 観海寺の裏にある鏡ヶ池は、静寂そのものの場所。そこで彼女は、死を「悲劇」ではなく「完成」として、主人公(画工)に委ねようとします。
まとめ
第九章は、主人公と那美が「非人情」という抽象的な概念を通じて、ついに**「死の共有」**にまで至るプロセスを描いています。
- 読書: 筋を追わない「おみくじ」のような快感。
- 竹影: 現実に翻弄されつつも塵を動かさない精神。
- 地震: 秩序ある変化を「愉快」とする感性。
- 鏡ヶ池: 美的な往生(死)への招待。
あとがき:
ここまで読んでいただきありがとうございます。いかがでしたでしょうか?
私自身自分が読んだ本を、このような切り口から読み解くというアプローチを始めてみました。
個人的にはこういう視点が好きで気づいてはニヤリとしながら読んでいて、楽しみの一つなのですが、もしかしたら、もしかして面白いと思う方がいるかも、と思い筆とをりました。
電子媒体でまとめさせていただきましたが、個人的な所見から言えば、私自身は紙で読むほうが記憶に残るので紙で読んでいます。やはり、縦に字が書いてあって読むほうが頭に入り、印象も深くなるのではないかと思っています。後はゴロゴロしながら読めることでしょうか。
できれば、紙媒体で読むことをお勧めします。よろしければ。
書籍紹介
個人的な好みで言えば、当時発行されたそのままの復刻版になります。
タイトルの書体も当初のまま、書き出しも当初のまま、奥付まで当初ののまま(笑、ご丁寧に復刻の奥付は別にあります。)
本って雰囲気とか、気配とかそういったものも含めて好きなんですよね。当時の人がどういうものを読んだかそのままを現代において追体験できる。その意味でも勧めです。
本文だけでいいよ。という方は、
字が大きくハッキリ見えるシニアの目にやさしいのはこちら。
現代語訳、常用漢字で読みやすくという方はこちら
それでは。



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