ついに物語は終焉を迎えます。非人情の旅の終着点は、皮肉にも二十世紀文明の象徴である「停車場(ステーション)」でした。
戦地へ向かう久一を見送る川舟から、鉄の塊である汽車への移行。そして、最後に那美が見せた表情。画工が追い求めていた「画」が、漢文学的な超越を超えたところでついに完成します。
1. 運命の「因果」と太公望
川舟で久一を運ぶシーンでは、静かな自然と残酷な「死」の予感が対比されます。
- 出典:『封神演義(ほうしんえんぎ)』等コンセプト:太公望(たいこうぼう) 解説: 文王に見出されるまで釣りをしていた呂尚の故事。世俗の動乱に関わらず、ただ浮標(うき)を見つめる隠逸の象徴。
- 分析: 戦争へ向かう若者の横を、何も知らずに釣糸を垂れる太公望が通り過ぎる。この「知らぬ人で逢い、わかれる」非人情な関係こそが、浮世の葛藤から人間を救うのだと画工は説きます。しかし、久一が眉間に印した「腥(なまぐさ)き一点の血」は、否応なしに彼らを凄惨な「現実」へと引き寄せていきます。
2. 文明の長蛇――個性を踏み付ける汽車
停車場に現れた汽車を、画工は「文明の長蛇」と呼び、激しく批判します。
- 文明批評の核心:「汽車ほど個性を軽蔑したものはない。……あらゆる限りの方法によってこの個性を踏み付けようとする」
- 分析: 一律の速力で人間を「貨物」のように運搬する汽車は、漱石が最も忌み嫌った「近代の非人間性」の象徴です。柵の中に自由を与えつつ、一歩も外へ出さぬ近代文明を「動物園の虎」に例える視点は、後の『三四郎』や『それから』へと続く重要なテーマです。
3. 「是非」を忘じ、「物化」に随う旅の終わり
旅の途中で詠んだ漢詩の精神は、現実の別れの場において試されます。
- 漢詩の回想と対比:「縹緲として是非を忘る」(第12章) 対訳: はるか遠く、世俗の善悪や是非を忘れてしまった。
- 分析: 画工は「是非(善悪)」を忘れることで美に達しようとしましたが、久一の出征という「死」を前にして、もはや単なる写生帖の中の風景ではいられなくなります。
4. 芸術の成就――「憐(あわ)れ」の瞬間
汽車の窓から、那美の元夫(野武士)が顔を出します。その時、那美の顔に浮かんだ表情こそ、画工が待ち望んでいたものでした。
- 「憐れ」の発見:「その茫然のうちには不思議にも今までかつて見た事のない『憐れ』が一面に浮いている」
- 分析: これまでの那美には「人を馬鹿にする微笑」しかありませんでした。しかし、死地へ向かう元夫と従弟を同時に見送る極限状態で、彼女の胸に「他者への深い共感と慈しみ」が宿ります。 「それだ! それが出れば画になりますよ」 非人情(突き放した美)の旅は、最も人間的な感情である「憐れ」に到達することで、ついに芸術としての**成就(じょうじゅ)**を見たのです。
結び:『草枕』が遺したもの
『草枕』は、現実を忘れるための逃避行として始まりましたが、最後には「現実の中の悲劇を、いかにして美として抱擁するか」という救済の物語へと昇華されました。 画工の胸中の画面が完成したとき、読者の心にもまた、近代文明の煤煙の中に咲く一輪の「憐れ」という花が残されるのです。


