『草枕』第六章において、主人公(余)は「画にしようとして物にならず」「音楽にしようとして不案内を知り」、最終的に「詩」という領分に踏み込みます。 ここで生成されたのは、**五言十四句の古詩(律詩の形式を借りた長篇)**です。漱石はなぜ最初の6句で筆を止めず、さらに8句を継ぎ足さねばならなかったのか。大漢和辞典に拠る語釈と、緻密な平仄・押韻の分析から、その創作心理の深層へ迫ります。
1. 漢詩の形式分析:平仄と押韻
本作の詩は、五言律詩を拡張したような形式を取っています。特に押韻は完璧に**「下平声七陽(よう)」**で統一されており、鼻に抜ける長く清らかな余韻(長、堂、梁、光、忘、忙、郷)が、静謐な空間を支配しています。
【全詩・平仄・押韻表】
※○=平声、●=仄声、◎=韻
| 句 | 原文 | 平仄 | 読み下し |
| 第1句 | 青春二三月 | ○○●○● | 青春(せいしゅん)二三月(にさんがつ) |
| 第2句 | 愁随芳草長 | ○○●●◎ | 愁(うれ)いは芳草(ほうそう)に随(したが)って長(なが)し |
| 第3句 | 閑花落空庭 | ○○●○○ | 閑花(かんか)空庭(くうてい)に落(お)ち |
| 第4句 | 素琴横虚堂 | ●○○○◎ | 素琴(そきん)虚堂(きょどう)に横(よこ)たう |
| 第5句 | 蛛網掛不動 | ○●●●● | 蛛網(ちゅもう)掛(かか)りて動(どう)ぜず |
| 第6句 | 篆煙繞竹梁 | ●○●●◎ | 篆煙(てんえん)竹梁(ちくりょう)を繞(めぐ)る |
| 第7句 | 独坐無隻語 | ●●○○● | 独坐(どくざ)隻語(せきご)無(な)く |
| 第8句 | 方寸認微光 | ○●●○◎ | 方寸(ほうすん)に微光(びこう)を認(みと)む |
| 第9句 | 人間徒多事 | ○○●○● | 人間(じんかん)徒(いたずら)に多事(たじ)なり |
| 第10句 | 此境孰可忘 | ●●●●◎ | 此(こ)の境(きょう)孰(いず)くんぞ忘(わす)るべけんや |
| 第11句 | 会得一日静 | ●●●●● | 一日(いちにち)の静(せい)を会得(かいとく)すれば |
| 第12句 | 正知百年忙 | ●○○○◎ | 正(まさ)に百年(ひゃくねん)の忙(ぼう)を知(し)る |
| 第13句 | 遐懐寄何処 | ○○●●● | 遐懐(かかい)何(いず)れの処(ところ)にか寄(よ)せん |
| 第14句 | 緬邈白雲郷 | ●●●○◎ | 緬邈(べんばく)たり白雲郷(はくうんきょう) |
2. 前半6句の分析:なぜこれらは「画」なのか
漱石(余)は、最初の6句を書き上げた時点で**「みな画になりそうな句ばかりである」**と自省します。ここでは徹底して「視覚的客観性」が優先されています。
各句の語釈と風景
- 青春二三月
- 青春: 五行説で春は「青」。万物が発芽する生命の息吹。
- 二三月: 春の真っ只中。陰暦の仲春から晩春。
- 愁随芳草長
- 芳草: かんばしい草。『楚辞』以来、芳草の繁茂は時の経過や遠い人を想う憂愁を誘う意。ここでは春の生命力(草)に比例して、非人情な「愁い」が物理的に伸びていく様を視覚化。
- 閑花落空庭
- 閑花: 静かに咲く花。または人知れず散る花。
- 空庭: 人影のない庭。空間的な「虚」を提示。
- 素琴横虚堂
- 素琴: 飾りのない琴。晋の陶淵明が「無弦の琴」を愛した故事に基づき、音を奏でない「静寂」の象徴。
- 虚堂: がらんとした堂。主客未分の虚無の空間。
- 蛛網掛不動(本文「蛸掛不動」)
- 蛛網: クモの網。大漢和辞典では「蛸」をクモと解す(蜘蛛の別称)。
- 不動: 風すら吹かない絶対的な静止状態の極微な描写。
- 篆煙繞竹梁
- 篆煙: 篆書(てんしょ)の文字のようにくねくねと立ち昇る線香の煙。
- 竹梁: 竹の梁。
- 解釈: 煙という「形なきもの」が、梁という「構造物」に絡みつく視覚的リズム。
【創作心理】
この6句は、対象との距離が一定に保たれた**「写生」**です。文与可が「胸中に成竹あり」として描いた竹のように、目の前の風景を構成要素(草、花、琴、網、煙)として完璧に配置しています。しかし、これは「外側」からの描写に過ぎません。
3. 後半8句への推敲:画にできない「情」への跳躍
漱石はここから「画にできない情」を詠うために、視点を「外」から「内(方寸)」へと転換します。
推敲の心理プロセス
- 第7句〜第8句(主観の発見):「独坐無隻語。方寸認微光。」外界の静止を描き尽くした果てに、ようやく「独り座る自分」が登場します。大漢和辞典において**「方寸」**とは「一寸四方の心」、すなわち胸中を指します。外の光(春の日)ではなく、内なる「微光(悟りの兆し)」を認める。ここから詩は哲学へと変容します。
- 第9句〜第12句(比較による価値の確立):「人間徒多事。……正知百年忙。」ここで「世俗(人間)」との対比が導入されます。羅大経の『鶴林玉露』を援用し、**「一日静(一瞬の非人情)」を、「百年忙(一生の俗事)」**よりも上位に置くことで、この瞬間の絶対的価値を定着させます。これは「形」を持たないため、画には描けません。
- 第13句〜第14句(究極の解放):「遐懐寄何処。緬邈白雲郷。」**「遐懐(かかい)」は遠くを思う心。「緬邈(べんばく)」**ははるか遠く、かすかな様。視線はついに宿の部屋(空間)を突き抜け、仙境である「白雲郷」へと消えていきます。
4. 結論:漱石が求めた「神境」の構造
漱石がこの詩を完成させた心理は、「客観的写生(画的)」から「哲学的忘我(詩的)」への深化にあります。
最初の6句で外界のノイズを完全に消去し(不動のクモ、無音の琴)、空間を真空状態にしました。その「虚」の中に、自らの意識を「微光」として点し、最終的に「白雲郷」へと自己を拡散させる。
雪舟や蕪村の気韻が「単純」であるとしたのは、彼らの表現がこの詩の前半6句(視覚的な構成美)に留まっていると感じたからでしょう。漱石が求めたのは、董其昌が求めた「万巻の書を読み、万里の道を行く」ことで得られる、**複雑な知性と哲学が裏打ちされた「非人情」**だったのです。



コメント