「夏目漱石」というペンネームが、中国古典の言い間違いを強弁したエピソードに由来することをご存知でしょうか。これは、ただの風流な名前ではなく、彼の**「頑固で負けず嫌い」**な性格を象徴する、漢学的な言葉遊びなのです。
- 出典の背景:中国の逸話集『世説新語(せせつしんご)』
- 原文: 「漱石枕流」
- 本来の表現: 「枕石漱流(石を枕にし、流れで口を漱ぐ)」
- 対訳: 本来は、自然の中で隠遁生活を送ることを指します。しかし、ある男がこれを「石で口を漱ぎ(磨き)、流れを枕にする」と言い間違えてしまいました。それを指摘されると、「石で歯を磨き、流れで耳を洗うのだ」と強弁した……という、負け惜しみの故事です。
漱石は、親友の正岡子規が使っていたこの号を譲り受け、自らの名としました。西洋の知性を誰よりも吸収しながらも、その根底にはこうした**「へそ曲がりな文人の矜持」**を秘めていたのです。
漢学塾「二松學舍」での原体験|「漢文こそが本物」という確信
漱石の知的な土台は、14歳の時に入学した漢学塾**「二松學舍(現在の二松學舍大学)」**で築かれました。当時の彼は、後に英文学者となる自分からは想像もつかないほど、漢学に心酔していました。
当時の漱石の価値観は、次のようなものでした。
- 西洋学問は「道具」:英語などは実利を得るための手段に過ぎない。
- 漢学こそが「学問」:人間としての格を磨き、精神を養うのは漢学である。
二松學舍で『左伝』や『史記』を徹底的に読み込み、漢文特有の凝縮されたリズムとロジックを身体に染み込ませたことが、後に彼が書く「格調高い日本語」の源泉となりました。漱石の文章が他の明治作家に比べて力強く、響きが良いのは、この少年期の「漢文の骨格」があるからに他なりません。
修善寺の大患と、魂を救った「漢詩」の創作
漱石にとって、日本語で書く小説は「公的な仕事」であり、時には神経をすり減らす苦痛を伴うものでした。そんな彼にとって、**「私的な魂の救済」**として存在したのが漢詩の創作です。
その重要性が最も顕著に現れたのが、1910年の「修善寺の大患」でした。胃潰瘍による大量吐血で危篤状態に陥った漱石は、生死の境を彷徨った後、多くの漢詩を残しています。
- なぜ漢詩だったのか?
- 日本語(大和言葉)で死の恐怖を語ると、どうしても生々しく、湿っぽくなってしまう。
- しかし、漢詩という「厳格な形式」を通すことで、個人の苦悩を**「高潔で静かな精神世界」**へと昇華させることができた。
晩年の漱石が到達した**「則天去私(そくてんきょし)」**――「私を捨て、天の理に従う」という境地は、この病床での漢詩創作を通じて、静かに育まれていったのです。
漱石の二面性:公の「小説」と私の「漢詩」
漱石の精神構造を整理すると、彼がなぜ最後まで漢学を手放さなかったのかが見えてきます。
| 項目 | 日本語の小説(公) | 漢詩の創作(私) |
| 主な対象 | 社会、読者、西洋的個人主義 | 自己、自然、東洋的無我 |
| 精神状態 | 分析的、批判的、神経衰弱 | 観照的、隠逸的、安らぎ |
| 目指す場所 | 近代の苦悩の描写 | 「則天去私」の境地 |
漱石にとって、漢文学は単なる教養ではありませんでした。それは、西洋化の波に洗われ、エゴイズムに苦しむ自分を、「東洋の静寂」へと連れ戻してくれる帰るべき場所だったのです。
まとめ:私たちが漱石から学べること
夏目漱石という作家を、「英文学を極めた近代人」としてだけ見るのは不十分です。彼のペンネーム、少年期の教育、そして死の間際まで詠み続けた漢詩。それらすべてが語っているのは、**「自分のルーツを大切にすることが、真の独創性を生む」**という事実です。
- 言い間違いすら誇りに変える(漱石枕流の精神)
- 一生モノの「骨格」を若いうちに作る(二松學舍での学び)
- 逃げ場としての「芸術」を持つ(修善寺での漢詩)
もしあなたが、現代社会のスピード感や人間関係に疲れを感じているなら、漱石のように「自分だけの漢詩(あるいは何らかの芸術的な逃げ場)」を持ってみてはいかがでしょうか。そこには、住みにくい人の世を、少しだけ「住みよく」してくれる知恵が隠されているはずです。



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