「夏目漱石といえば英文学者」というイメージをお持ちではありませんか?しかし、彼の文学の根底を支えていたのは、幼少期から血肉となった圧倒的な漢文学的素養でした。名作『草枕』の冒頭に込められた「住みにくさ」への回答は、実は中国の詩人・陶淵明の思想に深く根ざしています。
この記事では、漱石の経歴やエピソードを交えながら、西洋の知性と東洋の感性が融合した**「非人情」**の正体を解き明かします。読み終える頃には、漱石作品が持つ独特の気品と、現代にも通じる「心の整え方」が見えてくるはずです。
漱石のルーツは「漢学」にあり|血肉となった東洋の教養
漱石にとって漢学は単なる知識ではなく、人生の「ベース」でした。
その理由は、彼が西洋の知を本格的に吸収する前に、東洋的な知の骨格がすでに完成していたからです。14歳で漢学塾「二松學舍」に入学した漱石は、『左伝』『史記』『漢書』といった古典を精読しました。当時は「漢学こそが真に人間を磨く学問である」と信じ、文章の骨格を徹底的に作り上げたのです。
具体的なエピソードとして、以下の点が挙げられます。
- 筆名「漱石」の由来: 中国古典『世説新語』の故事「漱石枕流」から。負け惜しみを逆手に取った知的なユーモアの産物です。
- 魂の救済としての漢詩: 小説執筆を「公的な仕事」とする一方、漢詩を「私的な魂の救済」としました。修善寺の大患など、死に直面した際の孤独を昇華させたのは、常に漢詩の形式でした。
- 凝縮された文体: 『吾輩は猫である』などの初期作品に見られるリズムの良い文体は、漢文特有の対句表現や語彙力が支えています。
このように、漱石の文学的深みは、少年時代の徹底した漢学教育という土台の上に成り立っているのです。
『草枕』と陶淵明|「非人情」という架け橋
『草枕』は、陶淵明の隠逸精神を現代に再現しようとした挑戦的な作品です。
なぜなら、漱石が提唱した「非人情」という態度は、陶淵明が実践した「俗世から離れ、自然の一部として生きる」という思想そのものだからです。冒頭の「智に働けば角が立つ……」という一文は、人間社会(人情の世界)の生きづらさを説き、そこから脱却するための「芸術家的態度」を宣言しています。
特に陶淵明の詩『飲酒』との関連は深く、以下のような対比で説明できます。
- 「悠然として南山を見る」: 菊を摘む何気ない瞬間に、自分と自然の境界が消える「主客一体」の境地。これが漱石の目指した「非人情」の極致です。
- 「帰去来(ききょらい)」の精神: 役人生活を「心が体にこき使われている」と嘆き、田舎へ帰った陶淵明の姿に、漱石は近代社会で疲弊する知識人の姿を重ねました。
漱石は、西洋的なエゴ(自己)を突き通す生き方に限界を感じ、陶淵明のような「自己を消し去ることで得られる自由」に救いを見出したといえます。
智・情・意を超えた「第三の道」
漱石は、人間社会を否定したのではなく、別の角度から眺める「余裕」を提示しました。
現代社会において、自分の意志や感情をストレートにぶつけるだけでは、必ず衝突や行き止まりが生じます。漱石は陶淵明的な解決策を、以下のように整理して示してくれました。
| 要素 | 社会での悩み(俗) | 陶淵明的な解決(雅) |
| 智 | 働きすぎると「角が立つ」 | 知識を捨て、直感で自然を見る |
| 情 | 溺れると「流される」 | 個人的な感情を排し、風景として鑑賞する |
| 意 | 通そうとすれば「窮屈だ」 | 流れに身を任せる(則天去私への予兆) |
結局、どれほど住みにくくても「人でなしの国」へ行くことはできません。だからこそ、自分の住む世界を「一幅の画」として観ることで、束の間の命を住みよくする。これこそが、漱石が漢文学から学び取り、私たちに遺してくれた「心の処方箋」なのです。
まとめ:次の一歩として
夏目漱石の文学は、漢文学という強固な土台の上に、西洋の近代的自意識が構築されたハイブリッドな芸術です。
- 漢学の基礎: 二松學舍での学びが、彼の知性と文体の骨格を作った
- 非人情の境地: 陶淵明をモデルに、人情のしがらみを「画」として観る視点を提示した
- 則天去私: 晩年、私を捨てて天に従う東洋的理想へと回帰した
まずは今日、通勤途中の景色や、少し苦手な人間関係を「一幅の画」や「劇のシーン」として遠くから眺めてみてはいかがでしょうか?
より深く漱石の精神に触れたい方は、名作『草枕』を改めて手に取り、その冒頭に流れる漢詩のリズムを肌で感じてみてください。



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